世界大百科事典(旧版)内のAndreae,J.の言及
【アンドレーエ】より
…17世紀初頭の薔薇(ばら)十字団運動に重要な役割をはたした人物。薔薇十字団の四大著作のうち《世界の普遍的改革》《薔薇十字の伝説》《薔薇十字の信条》の3著の著者ではないまでも共同執筆者の一人であり,幻想小説風の奇書《化学の結婚》(1616)は彼の作品であることがほぼ確実とみられている。ルター派の領袖としてプロテスタント内部の教義統一をはかった《和協信条》の編纂者ヤーコプ・アンドレーエJakob Andreae(1528‐90)の孫。…
【和協信条】より
…それは主としていずれもメランヒトンの弟子たちによって形成された真正ルター派とフィリップ派との間で起こった論争であったが,1560年代後半からしだいにこれらの神学論争の結果をまとめて,ドイツのルター派教会内に信仰的・神学的一致をもたらそうという気運が高まった。そして,アンドレーエJakob Andreae(1528‐90)やケムニッツMartin Chemnitz(1522‐86)らが中心になって起草したものをもとに1577年《ベルゲン書》(のちこれを〈根本宣言〉という)がまとめられ,これを要約した〈梗概〉が第1部に付され,併せて〈和協信条〉と呼ばれることとなった。1530年の〈アウクスブルク信仰告白〉をルターの線で解説しようとした試みとして,ドイツをはじめ多くのルター派教会で信仰的基準の一つとして受けいれられている。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」