世界大百科事典(旧版)内のArik,R.O.の言及
【アラジャ・ヒュユク】より
…1835年の調査によってスフィンクス門があることが知られ,発掘が進むにつれてヒッタイト新王国の都市遺跡であることがわかった。しかし1935‐39年,トルコの考古学者コシャイH.Z.KoşayやアリクR.O.Arikが都市遺跡の下層から初期青銅器時代に属する独自の文化を発見したことによって学史的にも特に重要な位置を占めている。1層はフリュギア時代,2,3層がヒッタイト新王国時代,4層はヒッタイト古王国時代,5~8層が前期青銅器時代,9~14層が金石併用時代に属し,独自な文化の存在を認識させたのは,5~8層の前2500年ころと考えられる13基の王族の墓とその副葬品である。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」