世界大百科事典(旧版)内のArnulfvonBayernの言及
【バイエルン】より
…9世紀レーゲンスブルクは,東フランク王国の首都として,また東方との交易の中心地として栄えた。 同王国の弱体化した10世紀初頭,バイエルンの貴族たちは,マジャール人の侵攻に対し共同して立ち向かい,907年には,その先頭に立ったケルンテン辺境伯ルーイトポルトの子であるアルヌルフArnulf von Bayern(?‐937)を大公に選出した(新部族大公国バイエルンの起り)。アルヌルフは,ザクセン大公ハインリヒ(1世)とドイツ国王の位を争って敗れたが,バイエルンにおける司教叙任権の保持は認められた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」