ArnulfvonBayern(その他表記)ArnulfvonBayern

世界大百科事典(旧版)内のArnulfvonBayernの言及

【バイエルン】より

…9世紀レーゲンスブルクは,東フランク王国の首都として,また東方との交易の中心地として栄えた。 同王国の弱体化した10世紀初頭,バイエルンの貴族たちは,マジャール人の侵攻に対し共同して立ち向かい,907年には,その先頭に立ったケルンテン辺境伯ルーイトポルトの子であるアルヌルフArnulf von Bayern(?‐937)を大公に選出した(新部族大公国バイエルンの起り)。アルヌルフは,ザクセン大公ハインリヒ(1世)とドイツ国王の位を争って敗れたが,バイエルンにおける司教叙任権の保持は認められた。…

※「ArnulfvonBayern」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

半夏ともいう。七十二候の一つで,本来は夏至後 10日目から小暑の前日までをいったが,現行暦では太陽の黄経が 100°に達する日 (7月1日か2日) を半夏生とし,雑節の一つとして記載している。この頃半...

半夏生の用語解説を読む