世界大百科事典(旧版)内のArnuwandaIIの言及
【ヒッタイト】より
…スッピルリウマ1世の外交政策と外征で,新王国の版図は,北はポントス,南はレバノン,西はアナトリア西部に至る広大なものとなった。 スッピルリウマ1世の後を継いだアルヌワンダ2世Arnuwanda IIは,即位後まもなく疫病に倒れ,末子のムルシリ2世(在位,前1339ころ‐前1306ころ)が王位に就いた。同王は,父,兄の相次ぐ死去で各地に起こった反乱の鎮圧に努めるとともに,古王国以来の宿敵であった西方のアルザワ国を2年間にわたって攻撃,これを屈服させた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」