世界大百科事典(旧版)内のBazin,A.の言及
【ヌーベル・バーグ】より
…これが〈ヌーベル・バーグ〉の理論的支柱となった〈作家主義〉(あるいは〈“オートゥール”理論〉)の母胎となる。もちろん,それ以前に《カイエ・デュ・シネマ》の主導者であったアンドレ・バザンAndré Bazin(1918‐58)の〈映像本体論〉(1945)やアレクサンドル・アストリュックの有名な〈カメラ万年筆〉論(1948。《レクラン・フランセ》第144号)といった先駆的なマニフェストがあったことも忘れてはならない。…
【モンタージュ】より
…そしてプドフキンとエイゼンシテインのモンタージュ論は,それぞれの監督作品《母》(1926)と《戦艦ポチョムキン》(1925)で実践されている。 ソビエトのモンタージュ論は,のち30年代の〈社会主義リアリズム〉をへて政治的に批判され,また,第2次世界大戦直後のイタリア〈ネオレアリズモ〉のドキュメンタリー・タッチが世界の映画を変革しはじめたころには,映画の〈演出(ミザンセーヌmise‐en‐scène)〉の基本は〈カット割り(デクパージュdécoupage)〉ではなく,〈劇的空間の持続性の尊重〉を旨とする〈ワンシーン・ワンカット(プランセカンスplan‐séquence)〉にあるとするフランスの映画理論家アンドレ・バザンAndré Bazin(1918‐58)の〈ワンシーン・ワンカット〉説によって否定される形となった。しかし,それが映画の芸術的表現に寄与したところは大きく,映画理論の〈歴史〉においては重要な地位を占めている。…
※「Bazin,A.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」