世界大百科事典(旧版)内のBentvogelの言及
【バンボッチアンティ】より
…その代表者のオランダの画家ファン・ラールPieter van Laer(1599ころ‐1642ころ)がその身体障害のためにイタリアでバンボッチョBamboccio(〈滑稽な人形〉の意)と呼ばれたことに基づく。1625年ころローマに渡ったファン・ラールはカラバッジョの影響を消化しつつ,ローマ市街や近郊の田園における庶民の日常生活を主題とした風俗画・風景画の境界領域に属す独特な一分野,〈バンボッチャーテBambocciate〉を開拓して〈ベントフォーヘルBentvogel〉(オランダ語で〈鳥の群れ〉の意)と呼ばれる,同市に留学中の北方画家の共同体の主導的存在となり,ミールJ.Miel,リンゲルバハJ.Lingelbach,スウェールツM.Sweerts,チェルクオッツィM.Cerquozziなど多くの追随者を生んだ。無頼で放縦な生活態度と画題の通俗さを理由に,彼らは聖ルカ・アカデミーへの入会や教会での制作活動を禁じられたが,古典主義陣営の画家や批評家の激しい非難にもかかわらず彼らの絵が民間で広い人気を博したことは,残された作品の数からも明らかである。…
※「Bentvogel」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」