世界大百科事典(旧版)内のBercsényiM.の言及
【ラーコーツィ・フェレンツの解放戦争】より
…ラーコーツィは,トランシルバニアにおける反ハプスブルク愛国義勇軍クルツの指揮者であったズリーニ・イロナZríny Jllona(1643‐1703)の子であった。86年に母親が投獄されると,ウィーンで宮廷の保護下に育てられたが,94年自領に戻り,やがてベルチェーニ・ミクローシュBercsényi Miklós(1665‐1725)らの反ハプスブルク貴族と交わった。1700年にはフランスのルイ14世の援助を得て反乱を企てて発覚し,01年に捕まったが,脱走してポーランドへ亡命していた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」