世界大百科事典(旧版)内のBestuzhev-Ryumin,A.P.の言及
【エリザベータ・ペトロブナ】より
…内政の事実上の指導者は50年代はじめからシュバーロフPyotr Ivanovich Shuvalov(1710‐62)で,国内関税の廃止,法典編纂事業など経済的自由主義と法治主義の方針がとられたが,農奴の法的地位は低下した。1744‐58年宰相として外交を担当したベストゥジェフ・リュミンAleksei Petrovich Bestuzhev‐Ryumin(1693‐1768)は,イギリス,オーストリアとの同盟,スウェーデン,ポーランド,トルコに対する膨張政策をとり,女帝の晩年ロシアは七年戦争にも参加した。女帝はおいのピョートル(3世)を皇太子にしたが,両者の関係は悪かった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」