世界大百科事典(旧版)内のBezobrazov,A.K.の言及
【日露戦争】より
…政府上層部が日本に着目するようになるのは,日清戦争とそれにつづく,いわゆる三国干渉以降のことであり,民衆の多くは戦争が始まってようやく日本という名を知るにいたった。日本・ロシア両帝国主義の極東での対立が戦争となるが,ロシア内部にはベゾブラーゾフAleksandr Mikhailovich Bezobrazov(1855‐?)らの強硬派とウィッテらの穏健派の対立を含みながら,日本軽視という点では共通していた。1904年2月8日,仁川,旅順での日本軍の奇襲攻撃で戦争が始まり,ツァーリは開戦の詔勅で,宣戦布告なしの日本軍の攻撃の背信性を強調し,民衆の戦争協力を訴えたが,民衆には遠い極東の国外における知らない国との戦いであり,その正当性には説得力が乏しかった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」