BhadravarmanI(その他表記)BhadravarmanI

世界大百科事典(旧版)内のBhadravarmanIの言及

【チャンパ】より

…中国人に古くは林邑(りんゆう)の名で呼ばれ,初めは中国文化の影響を受けたが,3世紀末までにインド文化を取り入れた社会を形成するとともに,現在の中部ベトナムのクアンナム北方からフーカイン省ナイ岬付近にかけて複数の氏族勢力圏をつくり,その全体をゆるやかに支配する最初の王朝も存在した。伝存するサンスクリット碑文によると,4世紀末にバードラバルマン1世Bhadravarman Iがクアンナム南西のミソンにシバ神を祀る神殿を建立しており,第2王朝とみられるこの時代に地方勢力が統合されてインド風の王国が成立した。その後,東南アジアと西アジアおよび南中国沿海地方を結ぶ中継貿易を発展させたが,北方から絶えず加えられる中国の圧迫と王統の交替によって国勢は必ずしも伸展せず,第4王朝の滅亡(757)後,王権が南方に移ってパンデュランガPanduranga(ファンラン)に第5王朝が興った。…

※「BhadravarmanI」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む