世界大百科事典(旧版)内のBronnen,A.の言及
【ワイマール文化】より
…自己を否定する小市民的ラディカリズムのもつ両義性は,解体を通じての解放とファシズムへの転落を内包し,のちにソ連に亡命した知識人の間で,それを肯定的に評価するか否定的に評価するかをめぐって,激しい〈表現主義論争〉を巻き起こすもととなった。その名も《父親殺し》という戯曲によってワイマール初期の演劇界を象徴するスキャンダルを引き起こしたブロンネンArnolt Bronnen(1895‐1959)は,やがてナチスに傾斜し,19世紀ドイツ市民文学の最後の代表者トーマス・マンの〈理性に訴う〉という講演を妨害するリーダーとなった。父親に対する〈息子の反逆〉〈サド・マゾ的心情〉と定式化されるこうした意識は,そこから脱却していくブレヒトにも色濃く投影していた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」