世界大百科事典(旧版)内のBruant,A.の言及
【ロートレック】より
…2人のアカデミックな教育にはあき足りなかったが,ここでゴッホと知り合う。1880年代の半ばころ,シャンソン歌手でキャバレー〈ミルリトンMirliton〉の経営者アリスティド・ブリュアンAristide Bruant(1851‐1925)と知り合って,モンマルトルの夜の世界に出入りし始め,この頃から作風はそれまでの印象派風から彼本来の線描様式へと移ってゆく。作品の題材は,〈ムーラン・ルージュ〉など当時続々とオープンしつつあったキャバレー,カフェ,あるいは娼家であり,そこに生きる芸人や娼婦であった。…
※「Bruant,A.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」