世界大百科事典(旧版)内のChurriguera,J.B.の言及
【チュリゲレスコ】より
…スペイン・バロック末期の建築様式。〈チュリゲラ風〉の意で,チュリゲラChurriguera一族と,その弟子のリベラPedro de Ribera(1683ころ‐1742),トメーNarciso Tomé(1690ころ‐1740)によって確立された。捩り柱(サロモニカ)や細根の角柱,曲線,絵画,彫刻などを多用し,過剰装飾を特徴とする。…
【バロック美術】より
…また宮廷建築においても,ザクセンのペッペルマンMatthäus Daniel Pöppelmann(1662‐1736)がドレスデンに造ったツウィンガー宮殿(1711‐28)や,ヒルデブラントのウィーンのベルベデーレ宮殿などのような作品があり,イタリアに端を発する大階段室のデザインは,ゲルマン文化圏において,もっとも幻想に満ちた世界を構築するに至っている。 スペインのバロックは地方差が強いが,一般に豊麗な装飾へと向かう面が認められ,カスティリャのチュリゲラJosé‐Benito de Churriguera(1665‐1725)を中心とするチュリゲラ一族においてそれは最高潮に達する。彼らの建築様式,チュリゲレスコは,その後リベラPedro de Ribera(1683ころ‐1742)によって,さらにその極限にまで推し進められた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」