世界大百科事典(旧版)内のdīwānal-barīdの言及
【駅伝制】より
…ウマイヤ朝の初代カリフ,ムアーウィヤ1世(在位661‐680)がササン朝ペルシアやビザンティン帝国の駅伝制を踏襲し,第2次内乱(683‐692)を平定した第5代カリフ,アブド・アルマリク(在位685‐705)はこれを組織化して帝国統治のかなめとした。アッバース朝時代になるとバリードはさらに重要な政府機関となり,第2代カリフ,マンスール(在位754‐775)はバグダードに駅伝庁dīwān al‐barīdを設置するとともに,地方の主都にも駅伝局を置いてそれぞれに腹心の部下を配した。彼らは公文書の伝達ばかりでなく,地方総督や裁判官の活動のようす,毎日の物価の動きなどを書き送る義務を負っていた。…
※「dīwānal-barīd」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」