世界大百科事典(旧版)内のDaral-Funūnの言及
【ミールザー・タキー・ハーン】より
…バーブ教の宗教運動で社会的に混乱し,財政の枯渇と軍隊の脆弱で揺らぐカージャール朝体制を立て直すために伝統産業,とくにヨーロッパの綿製品の輸入で打撃をうけた織物業を保護育成し,ガラス,砂糖,武器製造の新産業の振興に努めた。また,ヨーロッパの学問,技術を取り入れるため,1851年,ヨーロッパ式のカリキュラムに基づく高等教育機関ダーロル・フォヌーンDar al‐Funūnを設立した。彼の改革事業は必ずしも成功せず,51年11月,宰相の職を解かれ,翌年1月,幽閉先のカーシャーンで処刑された。…
※「Daral-Funūn」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」