世界大百科事典(旧版)内の《DieAkkumulationdesKapitals》の言及
【ルクセンブルク】より
…10年にも大衆ストライキを提起して,それまで親しかったカウツキーと袂(たもと)を分かった。同時に,党学校での講義や《資本蓄積論Die Akkumulation des Kapitals》(1913)の研究を通じて帝国主義の非人間的本質を解明した。第二インターナショナルでも活躍,何度もポーランド代表として事務局会議に出席,1907年の大会ではレーニンらとともに反戦決議案を提出した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」