世界大百科事典(旧版)内の《DielustigeWitwe》の言及
【レハール】より
…ドイツ人軍楽隊長とハンガリー人の女性を両親とするレハールは,プラハ音楽院でバイオリンと作曲を修め,応召して軍楽隊長を務めながら作曲に励んだ。1902年に軍務を退いて作曲と指揮に専念し,05年ウィーンで初演した《メリー・ウィドウDie lustige Witwe》でオペレッタ史上空前の成功を収めた。第1次大戦後はアメリカから押し寄せたポピュラー音楽に人気を奪われたが,名テノール歌手タウバーRichard Tauber(1891‐1948)のために書いた一連の作品(《ほほえみの国》1929など)で人気を回復した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」