世界大百科事典(旧版)内の《Discourssurl'universitédelalanguefrançaise》の言及
【リバロル】より
…またフランス革命後の宮廷側に立ち,政界人を相手どる文書をつづったが,そのため革命勢力に追われ,外国を転々としたのちベルリンで没した。だが彼の名を文学・語学史上にとどめた作といえば何よりもまず,ベルリン・アカデミーの懸賞論文に当選した《フランス語の世界性についてDiscours sur l’université de la langue française》(1784)であろう。隣接諸国語と対比しつつ,〈明晰でないものはフランス(語)的でない〉などの警句を随所に用い,熱気のある文体で自国語の優越を説いたこの著述は,今日では数々の遺漏を指摘されてはいるものの,この時期,西欧圏に君臨したフランス語への賛辞として自国民に誇りを与えるに十分なものであった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」