世界大百科事典(旧版)内のEntenteCordialeの言及
【三国協商】より
…1902年,イギリスは極東でのロシアの南下に備えて日本と同盟(日英同盟)に入り,フランスにも接近を試みた。フランスではデルカッセ外相が対英関係の改善に奔走していたが,日露戦争勃発を契機として,イギリス,フランス両国は戦争を局地的に収拾しようとして接近を急ぎ,04年4月8日に英仏和親協商Entente Cordialeが成立した。この協商は,ニュー・ファンドランドと西アフリカに関する協約と,シャム,マダガスカル,ニューヘブリデスに関する宣言,およびエジプトとモロッコの取決めに関する宣言からなり,世界分割をめぐる両国の歴史的対立は解消された。…
【協商】より
…もとは〈了解〉を意味するフランス語の〈アンタント・コルディアルentente cordiale〉の短縮された言葉で,外交用語として,対外事務の遂行や第三国からの軍事的侵略の際の協力など国際的な関係事項に関する特定国家間の協調提携関係をいう。訳語や用例は慣用もあって必ずしも一定していないが,政治学的には以下のように区別される。…
※「EntenteCordiale」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」