世界大百科事典(旧版)内の《FregatPallada》の言及
【日本渡航記】より
…ロシアの作家ゴンチャロフの旅行記《フリゲート艦パルラダ号Fregat Pallada》(1858)の部分訳。1852‐55年(嘉永5‐安政2)ゴンチャロフは遣日使節プチャーチン提督の秘書官として世界周航に参加し,1853年長崎に来航した。…
※「《FregatPallada》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…ロシアの作家ゴンチャロフの旅行記《フリゲート艦パルラダ号Fregat Pallada》(1858)の部分訳。1852‐55年(嘉永5‐安政2)ゴンチャロフは遣日使節プチャーチン提督の秘書官として世界周航に参加し,1853年長崎に来航した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
[生]1936.2.20. 千葉,臼井プロ野球選手,監督。佐倉第一高等学校から立教大学を経て,1958年に東京読売巨人軍(読売ジャイアンツ)に入団。右投げ右打ちの強打の三塁手として,入団 1年目に本塁...