世界大百科事典(旧版)内のGürsel,C.の言及
【トルコ共和国】より
…これに対して,都市民,インテリ,学生の間に不満が高まると,政府は,アメリカや西欧諸国からの借款の取付け,宗教宣伝による票の獲得,言論弾圧などによって事態の収拾を図ったが事態は改善されず,60年春に頻発した学生による反政府デモの弾圧に政府が軍隊を利用したことが引金となって,〈政治への不介入〉をケマル・アタチュルク以来の方針とする軍部は,60年5月27日にクーデタを敢行した。ギュルセル将軍Cemal Gürselを指導者とする軍人グループは国家統一委員会を組織して国政を掌握した。その結果,民主党は閉鎖され,メンデレスは絞首刑,バヤルは終身刑(のち釈放)に処された。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」