世界大百科事典(旧版)内のgosudarstvennyisovetの言及
【ロシア帝国】より
…元老院の機能強化と地方改革,さらにエリザベータ期からの経済自由化政策のため,ピョートル1世以来のコレギアは外務,陸,海の3者を残して消滅に向かったが,コレギアの特徴をなした幹部会での合議による運営も18世紀末,とくにパーベル期に議長の専決制に移り,これを受けてアレクサンドル1世が大臣を責任者とする省の制度を採用した。 これに続いて法案の最終審議を主任務とする国務評議会gosudarstvennyi sovetが設けられ,元老院は一種の最高法廷となる。この体制が1905年まで続くが,この改革はアレクサンドルがスペランスキーの改革案をいわばつまみ食いしたもので,改革案にあった郷・郡・県・国の段階的代議制は拒否された。…
※「gosudarstvennyisovet」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」