世界大百科事典(旧版)内のGuidodaSienaの言及
【シエナ派】より
…シエナ派絵画の淵源は,この地域のベネディクト会修道院で数多く作られたミニアチュールにあり,そこからこの派を特徴づける豊かで優美な色彩と,このうえなく洗練された技法への嗜好が生まれた。13世紀にはすでにグイード・ダ・シエナGuido da Sienaのような画家が現れるが,真にこの派の基礎を確立したのは,ジョットと同時代のドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャが登場してからである。彼は東方のビザンティン美術と北方のゴシック美術を摂取・融合して,繊細な形態を線のリズムが包む甘美で抒情的な画風をつくり上げ,さらに弟子のシモーネ・マルティーニが,よりソフトで優雅な装飾性の濃い絵画へと発展させた。…
【トスカナ[州]】より
…いずれの画家たちもビザンティン様式を基盤としているが,ピサ,ルッカ,アレッツォ,フィレンツェなど,商業活動による経済的興隆を背景に,フランチェスコの教えに鼓吹された人間的な宗教感情や新鮮な自然観に呼応した絵画を創出した。アッシジでも活躍したピサのジュンタGiunta Pisano(1229‐54活動),ルッカのベルリンギエリ家(ベルリンギエリ)や,シエナのグイードGuido da Siena(生没年不詳)は,劇的で荘厳な表現に,親近感のある細部描写を交えたキリスト磔刑図や聖人伝の板絵を,またアレッツォのマルガリトーネMargaritone d’Arezzo(生没年不詳)は洗練された優雅な聖母子像を描いた。やや遅れてフィレンツェでは洗礼堂大天井のモザイクがフィレンツェ絵画の誕生をもたらす契機となり,13世紀末にチマブエが現れ,造形的人間像を現出させ,シエナのドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャは絵画的美を追求して,それぞれフィレンツェ派とシエナ派の礎を築いた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」