世界大百科事典(旧版)内のGulfCrisisの言及
【湾岸戦争】より
…特にアメリカは米ソ冷戦構造終結後の初めての紛争処理のケースとして断固たる姿勢で望み,侵攻の4日後には国連安保理でアメリカの強い主導のもと対イラク経済制裁(決議661)が決定されるなど,国連を中心としたイラク非難の国際世論形成が徹底された。侵攻自体は大規模な戦闘を伴わなかったが,イラクのクウェート併合によって湾岸地域全体の安定と欧米先進国の石油安定確保が覆される可能性が懸念され,アメリカ,イギリスを中心とした欧米先進国とイラクの間に軍事的全面衝突の危機が生じたことから,戦争開始までの5ヵ月半を〈湾岸危機Gulf Crisis〉と称する。
[湾岸戦争]
侵攻後イラクはクウェートおよびイラク国内に残留する外国人の出国を認めず,多国籍軍の攻撃を回避するための〈人質〉作戦であるとして国際社会からの反発を受けたが,11月に武力行使容認決議(決議678)が国連で採択された後には残留外国人は解放された。…
※「GulfCrisis」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」