Hanotaux,A.A.G.(その他表記)HanotauxAAG

世界大百科事典(旧版)内のHanotaux,A.A.G.の言及

【デルカッセ】より

…1889年下院議員となり,ガンベッタの派に属した。1898‐1905年の長期間外相をつとめ,いわゆるデルカッセ外交といわれる一時代を築いたが,これはビスマルクによって強いられたフランスの国際的孤立を打破しようとした前任者アノトーAlbert‐Auguste‐Gabriel Hanotaux(1853‐1944)の外交理念を発展させたものである。すなわち露仏同盟を強化し,イギリスとの間にはファショダ事件を解決し,英仏協商を結び(1904),イタリアとの間にも,トリポリとひきかえにモロッコでのフランスの独占的自由行動権を認めさせ,同時にイタリアを三国同盟からひきはなすための伏線を敷いたことなどがおもな成果である。…

※「Hanotaux,A.A.G.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

《料理されるためにまないたにのせられた魚の意から》相手のなすに任せるより方法のない運命のたとえ。まないたの鯉こい。[類語]俎板まないたの鯉こい・薬缶やかんで茹ゆでた蛸たこのよう・手も足も出ない...

俎上の魚の用語解説を読む