世界大百科事典(旧版)内のIstinpolinの言及
【イスタンブール】より
… 1453年5月29日,40日余の激戦の末,オスマン帝国軍は市壁を破って入城し,ビザンティン帝国は滅亡した。オスマン帝国のスルタン,メフメト2世は,ただちにこの町を帝国の新しい首都とするとともに,その名をイスタンブル(ギリシア語で〈町へ〉を意味するイスティンポリンIstinpolinに由来する)と改名し,ハギア・ソフィアをモスクに改築(現,アヤ・ソフィア)させた。スルタンは,これにつづいて新首都の再建事業に乗り出し,まず征服後市内にふみとどまった旧市民の生命・財産の安全を保証するとともに,アナトリアとバルカン領土内に住むトルコ人,ギリシア人,アルメニア人,ユダヤ人,ブルガリア人,セルビア人などの富裕な商人や職人を強制的に移住させた。…
※「Istinpolin」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」