世界大百科事典(旧版)内のJohannSigismundの言及
【ブランデンブルク】より
…選帝侯ヨアヒム2世Joachim II(在位1535‐71)は,1539年ルター主義を採用して宗教改革を行ったが,教会・修道院財産の没収もここではユンカーの勢力強化に役だてられ,農村における彼らの支配権をいよいよ不動のものたらしめる結果を生んだ。 こうしてブランデンブルクでは,17世紀の中葉まで貴族優位の身分制国家体制が続くが,この間に選帝侯ヨハン・ジギスムントJohann Sigismund(在位1608‐19)は1613年カルバン主義に改宗,14年にはライン下流域の小領邦クレーベ,マルク,ラーフェンスベルクを,18年にはプロイセン公国を継承権にもとづいて獲得することにより,領土を拡大した。三十年戦争の際,ブランデンブルクは,スウェーデンの介入に対して最初のうち反抗的な態度をとったため,スウェーデン軍・皇帝軍の双方によって国土を荒らされ,ユンカーの勢力もかなり弱まった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」