世界大百科事典(旧版)内のKölTeginの言及
【突厥】より
…これ以後を突厥第二可汗(帝)国と呼ぶ。頡跌利施可汗の弟,黙啜(カプガンQapghan)可汗時代に,東は契丹,北はキルギス,西はビシュバリクのバスミルおよびイルティシュ川方面のトゥルギシュを討ち,さらに頡跌利施可汗の子ビルゲ・ハガンが直系を復活して弟の闕特勤(キョル・テギンKöl Tegin。685‐731)とともに,父の代からの功臣トニユククTonyuquq(阿史徳元珍)の助言を得ながら遊牧騎馬国家の復興を成し遂げた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」