世界大百科事典(旧版)内のKīshの言及
【インド洋】より
…10世紀にアッバース朝が衰退し,エジプトのファーティマ朝が発展して以来15世紀まで,ペルシア湾ルートに代わって紅海ルートが東西の幹線ルートになったといわれる。しかし,ペルシア湾ルートがすたれたわけではなく,湾口に近いキーシュKīsh(11~14世紀前),ホルムズHurmuz(14世紀初頭以後)の二大貿易港が,モンゴル帝国,オスマン・トルコ帝国の内陸貿易ルートとの接点として,また11世紀以来戦闘形態の変化により急増したペルシア馬,アラブ馬のインドへの輸出を独占して繁栄した。この時期に東アフリカ沿岸のアラブ,ペルシア人の居留地が発展し,インドや東南アジアのイスラム化が進展するなど,インド洋周辺でのイスラム世界の拡大と多様化がさらに進んだ。…
【ペルシア湾】より
…当時のペルシア湾貿易の中心の港はイラン南岸のシーラーフSīrāf(現,ターヘリー)であった。 ブワイフ朝後期になると,シーラーフに代わって11世紀前半より13世紀前半までアラブの族長カイサル家の拠るキーシュKīsh島がホルムズ海峡の出入口を扼する地の利を生かして栄えた。しかし,イランにモンゴル族のイル・ハーン国が成立すると,沿岸部のホルムズHormuz(現,ミナーブ)に繁栄が移り,この港にはオドリク,マルコ・ポーロなどが訪れ,その名はあまねく中世のヨーロッパにも知れわたった。…
※「Kīsh」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」