世界大百科事典(旧版)内のKazanlâkの言及
【ブルガリア】より
…【松永 綠彌】
【美術】
1972年バルナにおいて,シュメール文明に先行すると考えられる銅器時代の遺品が発見され,前4千年紀のブルガリアの先進性が注目された。その後この地に住んだトラキア人によって,黒海沿岸にオデッソス(現バルナ)やメセンブリア(現ネセバル)ほかのギリシア植民都市が建設され,現在失われてしまった古代ギリシアの壁画を彷彿とさせるカザンラクKazanlâkの墳墓の天井画(前300ころ)や,パナギュリシテPanagjurište出土の金工品(前3世紀)など,当時の一級品が見られる。46年以降,トラキアとモエシアとしてローマ帝国の属州となり,セルディカ(現ソフィア)など新たにローマ都市が建設されたが,ローマ時代末期のポモリエPomorieの墳墓などは,ローマの建築技術によりつつもトラキア人の伝統に従っている。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」