世界大百科事典(旧版)内のKhā'irBayの言及
【エジプト】より
… 1517年,カイロに入城したオスマン帝国のセリム1世は,14世紀半ば以降,ペストの流行とマムルーク軍閥の抗争によって弱体化していたマムルーク朝の支配に終止符を打った。エジプトはオスマン帝国の一属州とされ,その統治はオスマン軍の行動を積極的に支援したマムルーク出身のアミール,ハーイル・ベイKhā’ir Bay(?‐1522)にゆだねられた。征服後,マムルーク朝時代のイクターは一度国家に没収され,検地の後,改めてオスマン朝の財務官であるエミーンemīnに分与された。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」