世界大百科事典(旧版)内のKhrennikov,T.N.の言及
【レニングラード・バレエ団】より
…第2次大戦後の50年代から劇場の主要な努力は内外古典の復元と新上演にむけられたが,それは原作の意図と形式を綿密に追究し,その振付を生かす正統的な方法であったから,その成果は古典上演の模範として劇場の声価を高めた。一方,現代作曲家の新作上演ではショスタコービチの《レニングラード交響曲》(《交響曲第7番》),フレンニコフTikhon Nikolaevich Khrennikov(1913‐ )の《軽騎兵のバラッド》など,社会的主題の積極性とともに表現手法の多様化が目だっているが,クラシックの基本をふまえたもので,ここにバレエ団のもつ風格と気品の根源があり,内外に熱烈な愛好者をもつゆえんでもある。【野崎 韶夫】。…
【ロシア・ソビエト音楽】より
…53年スターリンの死後,〈雪どけ〉の時代が始まり,スターリン時代の行過ぎが是正され,多くの作品や音楽家が名誉を回復したが,芸術が社会に奉仕するという,1932年以来の原則に変りはない。実際,48年の批判の際に,35歳の若さで作曲家同盟の書記長に抜擢されたフレンニコフTikhon Nikolaevich Khrennikov(1913‐ )は,40年余りその地位にとどまり,社会主義リアリズムの模範ともいうべき多くの作品を発表し続けた。高度な技術的洗練と民族色という19世紀以来のロシアの伝統は,現在も健在である。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」