世界大百科事典(旧版)内のKlein,O.の言及
【仁科芳雄】より
…そこでD.コスターとともに希土類とその前後の原子番号の諸元素のエネルギー準位をX線分光学的に測定,ボーアの原子構造理論の希土類の解釈を実験的に証明し,次いでG.ヘベシーのためにジルコニウム鉱石中のハフニウムの定量などに役だつX線元素分析の方法を開発した。日本からの留学期限後3年間受けていたラルフ・エルステッド財団の奨学金も終わった27年,いったんコペンハーゲンを離れたが,その前年勃興しはじめた新理論,量子力学を学ぶためハンブルクに留学,28年コペンハーゲンに戻ってスウェーデンのクラインOskar Klein(1894‐1977)とともに,電子による電磁波のコンプトン散乱の断面積を与えるクライン=仁科の式を導出した。その年の暮れにアメリカ経由で帰国,31年理化学研究所で研究室主任となり,理論物理学,原子核および宇宙線の研究の分野で,朝永振一郎,嵯峨根遼吉らを擁する大きな学派を育てた。…
※「Klein,O.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」