世界大百科事典(旧版)内のKrefeldの言及
【絹織物】より
…1860年の英仏通商条約により絹工業に対する保護関税が撤廃されたことにより,他方では労働組合運動の激化や労賃の高騰も加わって,しだいに衰退に向かい,以後イギリスは絹製品の最大の輸入国として重きをなし続けた。 ドイツの絹工業は13世紀にケルンに興り,16世紀後半にはフランクフルト・アム・マイン,17世紀後半にはクレーフェルトKrefeldにおいて栄えたが,フランス人新教徒の移住を機に国家主導のもとにベルリンでの振興が図られ,18世紀末にはリヨンに代わるほどの繁栄を示した。しかし19世紀には安価な労働力を求めて絹織物業はライン川流域諸州に移動し,クレーフェルトとエルバーフェルトElberfeld(現,ブッパータール)がその二大中心地となった。…
※「Krefeld」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」