世界大百科事典(旧版)内のKyukhel'beker,V.K.の言及
【デカブリスト】より
…その結果,ペステリ,ルイレーエフら5人の首謀者が絞首刑,121人がシベリア徒刑ないし流刑となった。彼らのなかには,処刑されたルイレーエフ,シベリアに流刑されたキュヘリベーケルV.K.Kyukhel’beker(1797‐1846),オドーエフスキーA.I.Odoevskii(1802‐39)らの詩人,一兵卒に降格されカフカス勤務を命じられたベストゥージェフなどプーシキンの友人・知己が多く含まれている。シベリア流刑者らの罪が許されヨーロッパ・ロシアに戻れたのは,ニコライ1世の死後即位したアレクサンドル2世の治世になってからである。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」