世界大百科事典(旧版)内のLéondeRosnyの言及
【フランス】より
…この一行には福沢諭吉,福地源一郎(桜痴),上田友助(敏の父),箕作秋坪,松木弘安(寺島宗則)なども加わっていた。パリで独学で日本語を学んでいたレオン・ド・ロニーLéon de Rosnyは一行中の洋学者と交遊し,翌年から東洋語学校で日本語を教え始め,使節団員の書き残した文書を利用して教科書《日本文集》を作った。 ベルクールの後任L.ロッシュはイスラム世界で長く外交官の経験があり,アラビア語に堪能でイスラムに改宗し,現地語の重要性をよく認識していたので,1864年日本に着任すると,日本語に習熟したメルメ・ド・カション神父を外交官に採用し,薩長を支持するイギリスに対抗して幕府を支持した。…
※「LéondeRosny」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」