世界大百科事典(旧版)内のLaneutralitépermanenteの言及
【永世中立】より
…こうした権利義務関係をつくり出す条約を永世中立条約といい,こうしてつくり出された権利義務関係が永世中立である。これを永世中立と呼ぶようになったのは,1802年の英仏講和条約である〈アミアンの和約〉が地中海のマルタ島に与えた地位をさすためにLa neutralité permanente(永世中立)の語を用いたことに始まり,その後15年のウィーン会議が,中立政策をとっていたスイスに対し,同様の地位を与え,これをLa neutralité perpétuelle(永世中立)と呼んだ。その後クラクフ(1815),ベルギー(1831),ルクセンブルク(1867),コンゴ自由国(1885),ホンジュラス(1907),トリエステ(1947),オーストリア(1955)およびラオス(1962)が永世中立国とされた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」