世界大百科事典(旧版)内のLenclos,N.deの言及
【サロン】より
…17世紀にはそのほか,ラ・ロシュフーコーの《箴言集》や,J.deラ・フォンテーヌの《寓話》を生み出したサブレ夫人のサロン,多少軽佻な趣があったスカロン夫人Mme.Scarron(1635‐1719。のちのマントノン夫人marquise de Mantenon)のサロンなどがあり,17世紀末には自由思想家(リベルタン)たちを集めたニノン・ド・ランクロNinon de Lenclos(1620‐1705)のサロンも出現した。 ルイ14世が死んで(1715)摂政時代になると,〈古代人と近代人の優劣論争〉(新旧論争)などが行われたランベール夫人marquise de Lambert(1647‐1733)のサロン(1710ころ‐33),華やかな文学遊戯や奔放な風俗で名高いデュ・メーヌ公夫人duchesse du Maine(1676‐1753)のサロン(パリ南郊のソーSceauxの邸で開かれた)などが現れる。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」