世界大百科事典(旧版)内のLeopoldIの言及
【ハプスブルク家】より
…しかしオーストリアでは,王家に残された皇帝位と反宗教改革の勝利が皇帝崇拝に聖人崇拝を結びつけ,たび重なるマドリードとの同族結婚もあってウィーンの宮廷文化は花開き,王家の権威も高まった。皇帝レオポルト1世Leopold I(在位1658‐1705)が83年再びウィーンを包囲したトルコ軍を撃退,全ハンガリーを確保してから,ウィーンはハプスブルク・ドナウ帝国の中心となり,芸術を愛好するバロックの君主たちを生んだ。スペイン系がカルロス2世(在位1665‐1700)で断絶し,スペイン継承戦争が勃発すると,レオポルト1世の次子カール6世も継承権を要求する。…
※「LeopoldI」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」