世界大百科事典(旧版)内のLusinchi,J.の言及
【ベネズエラ】より
…79年に発足したCOPEIのカンピンスLuis Herrera Campins(1925‐ )政権は前政権の開発計画を若干修正した第6次全国開発政策を策定し,教育の拡充,住宅建設,道路の整備拡張など,国民生活に密着した経済産業部門の開発,発展に努めた。84年に登場したADのルシンチJaime Lusinchi(1924‐ )政権も,経済拡大と民生安定の政策を打ち出したが,国内産業のほとんど全部門の経済権を掌握する多国籍企業は,政府に価格統制の撤廃や外資優遇政策を要求した。 1958年のヒメネス政権の倒壊後,約30年にわたりADとCOPEIの二大中道政党による政権が続き,国家主導のポプリスト的政治経済政策(ポプリスモ)が展開されたが,その間一定の国家経済の発展があったものの,とくに80年代になり,石油価格の下落,財政膨張型政策による財政赤字と外債の増加,為替の切下げ,インフレの増大などにより生じた国民の生活条件の悪化,政治腐敗などは政治経済の危機を招いた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」