世界大百科事典(旧版)内のMadaraの言及
【ブルガリア】より
…教会堂はおもにバシリカ式で,6世紀のソフィアの聖ソフィア教会がその例である。 スラブ人に続いて侵入したブルガール人によって8世紀にマダラMadaraの岩壁に彫られた騎馬像は,故地におけるササン朝ペルシアとの接触を推測させ,またプリスカPliskaの宮殿跡などの整えられた切石によるみごとな建築技術は,ササン朝の影響を受けたアルメニアの建築に見られるものである。864年の東方正教改宗後,当時すでに一般的ではなくなっていたバシリカ式の教会堂が多く建てられたが,前記の石工技術は急速に失われ,シメオン1世の宮廷礼拝堂と考えられるプレスラフPreslavの集中式教会堂(10世紀)以降,しだいにビザンティン建築との同時代性を示しはじめた。…
※「Madara」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」