世界大百科事典(旧版)内のMamaea,J.の言及
【セウェルス・アレクサンデル】より
…シリアのエメサに生まれ,従兄エラガバルス帝の養子となり,その死後帝位に就いた。母ユリア・ママエアJulia Mamaeaの後見を受けたが,元老院との協調,救貧対策,産業の振興に腐心し,賢帝の誉れが高かったと伝えられる。しかし,東部戦線におけるササン朝ペルシアの撃退(233)にもかかわらず,ガリアに侵入したゲルマン人に対して宥和政策をとったことから,軍隊の反感をかい,母とともに暗殺された。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」