世界大百科事典(旧版)内のManchingの言及
【ラ・テーヌ文化】より
…一般にみられる墓室や墳丘を欠き直接土中に埋葬した墓とは隔絶したものとなっており,この文化を生んだケルト人社会が,早くから明確に階層分化していたものであったことをうかがわせる。オッピドゥムはもともと周囲を土塁と濠とで防御した場所を指すが,後期ラ・テーヌ文化の特徴とされるオッピドゥムの遺跡は,たとえばドイツのバイエルン州にあって約38haの面積を占める最大級のオッピドゥムであるマンチンManching遺跡では,城門と城壁を備え,なかに神殿があり,街路と大小の木造住居が配され,鍛冶,鋳造,ガラス製造などの各種手工業工房に加えて,貨幣製造所があったことなどが発掘によって明らかにされている。オッピドゥムは単なる避難所的な城塞ではなく,その地域の政治・経済の核となる城塞都市とでも呼びうるものであって,その存在からケルト社会の成熟度の高さをうかがえる。…
※「Manching」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」