世界大百科事典(旧版)内のManSingh,R.の言及
【グワーリオール】より
…古来抗争が絶えなかったのは,町がインド大平原とデカン高原とを結ぶ,出入口に当たる戦略上要衝の地を占めていたことによる。今日,町の中央丘陵上に残る城址は,藩王マン・シンMan Singh(1486‐1517)の築いたもので,城壁の下部の洞窟寺院には,当時のヒンドゥー教やジャイナ教の神像が多く刻まれている。藩王シンディア家が殖産振興に意欲的であったことが,陶器,手織物,敷物,彫刻品などの特産品を生ませた。…
【ドルパド】より
…【島田 外志夫】。。…
※「ManSingh,R.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」