世界大百科事典(旧版)内のMonnet,J.の言及
【国際統合】より
…しかし戦争後,この構想は各国政府のいれるところとならなかった。このようなヨーロッパ統合運動の停滞を打開したのが,フランスのモネJean Monnet(1888‐1979)をはじめとする新機能主義者neo‐functionalistの運動であった。モネは,連合国によるドイツ占領終了後にドイツ,フランス間紛争の一因となると懸念されていた,ライン地方の炭田および鉄鋼業の管理権の帰属につき,これを独立したヨーロッパの超国家的機関にゆだねることを提案した。…
【フランス】より
…これによって小規模分散性の打破(電力会社1860社,ガス会社724社をそれぞれ1社にまとめる),産業融資の拡大,経営の積極化,政府の財政的てこ入れ,大規模な近代化と生産能力拡大などが図られることになった。 次に計画化は,当初アメリカの対欧復興援助(マーシャル・プラン)への受け皿となり,経済復興のための基幹部門への投資割当て(傾斜生産方式)をなす〈真の〉国家計画(計画の立案者である経済学者モネJean Monnet(1888‐1979)の名をとってモネ・プランと呼ばれる)として構想された。しかし経済の再建とともに,統制的手段の採用はしだいに放棄され,減税措置や利子補給,起債認可,各種助成金や奨励金などを見返りに,企業が投資契約を国と交わす,という刺激と合意とによる誘導的手法が導入されるようになった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」