世界大百科事典(旧版)内のNāṣiral-Dawlaの言及
【ハムダーン朝】より
…アラブのタグリブ族のハムダーン家が北メソポタミア(905‐991)とシリア北部(945‐1004)に建設したイスラム王朝。アブド・アッラーフ‘Abd Allāh(在位905‐929)がモースル総督に任命されたのに始まり,その息子ナーシル・アッダウラNāṣir al‐Dawla(在位929‐969)は大アミール(在任942‐943)としてアッバース朝の政界にも介入したが,979年,ブワイフ朝によって征服され,以後はその保護下に立ち,991年にウカイル朝とマルワーン朝によって分割され滅びた。一方,ナーシル・アッダウラの弟サイフ・アッダウラSayf al‐Dawla(在位944‐967)はアレッポに拠ってシリアのハムダーン朝を開き,よくビザンティン帝国に対抗し,文人・学者を保護した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」