世界大百科事典(旧版)内のPalazzodellaSapienzaの言及
【ローマ大学】より
…15世紀以降,インノケンティウス7世によるフィレンツェ大学に次ぐギリシア語講座の設置やエウゲニウス4世の大学再建によって繁栄し,人文主義隆盛の一翼を担うこととなった。レオ10世の下では教皇庁大学が併合され,大学も固有の建物を持って〈知の館Palazzo della Sapienza〉と称されたが,17世紀には衰退し,18世紀のベネディクトゥス14世の改革によって一時復興された。しかし,ボローニャ大学などに比べて副次的重要性しかもたなかったこの大学が,多少なりともイタリアの中心的大学として位置づけられるのは,イタリア統一以後に政府が改革を行ってからのことである。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」