世界大百科事典(旧版)内のPauley,E.W.の言及
【賠償問題】より
…日本で賠償支払い問題が生じたのは第2次世界大戦の敗北後である。大戦末期の1945年4月,米英ソ3国が賠償委員会を構成し,その代表にポーリーEdwin W.Pauleyを任命し,第1次世界大戦後の過重な対独賠償が経済的混乱とナチスの台頭を招いたことを考慮して,現金や生産物の賠償を避け,軍需工業とそれに関連した過剰既存設備をおもな対象とし,経済自立を可能にする程度に抑えるという基本方針を示した。ポーリー調査団は45年11月に東京に到着しみずからの調査,アメリカ政府・極東委員会の要望,日本政府の陳情をもとに46年4月〈ポーリー最終報告〉を作成し,空襲を逃れた軍需工業を中心とする重工業施設の過半を賠償として撤去することを勧告した。…
※「Pauley,E.W.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」