PierredeCourtenay(その他表記)PierredeCourtenay

世界大百科事典(旧版)内のPierredeCourtenayの言及

【ラテン帝国】より

… ボードアン1世がブルガリア皇帝のカロヤンKalojanにアドリアノープルの戦で敗北して捕虜となった(1205)後,後継者の弟アンリHenri de Hainau(在位1206‐16)はブルガリア人を討ってトラキアの支配を固め,小アジアでもニカエア帝国のギリシア皇帝テオドロス1世(ラスカリス)と戦って領土を広げ,国威は伸張した。しかしアンリ帝死後,後継者に指名されたその姉妹ヨランデYolande de Hainautの夫ピエールPierre de Courtenayは,西方からコンスタンティノープルに赴く途次アルバニア山中でエピロス帝国のギリシア皇帝テオドロス1世に捕らえられ(1217),息子のロベールRobert de Courtenay(在位1221‐28),続いて後者の弟ボードアン2世(在位1228‐61)と,いずれも幼少で即位した皇帝のもとでラテン帝国は急速に衰退し,小アジアの領土およびレスボス,キオス,サモスをニカエア帝国によって奪われ,トラキアでは同帝国およびエピロス帝国によってコンスタンティノープル周辺に支配を狭められた。1261年7月首都は奇襲でニカエア皇帝ミハエル8世の手に落ち,ラテン帝国は滅びた。…

※「PierredeCourtenay」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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