世界大百科事典(旧版)内のpolyud'eの言及
【キエフ・ロシア】より
… 9~10世紀半ばまでの諸公は,武装した従士団を率いて各地の住民集落を回り歩き,命令を伝達しながら簡単な裁判を行った。テン,ビーバー,リスなど各種の毛皮・獣皮,蜂蜜,蜜蠟などを貢税として徴集する冬から春への巡回徴貢(ポリュージエpolyud’e)の際には,住民は公や従士に食料を提供し,馬にかいばをやらなければならなかった。ところが,11世紀半ばになると,とくにキエフ周辺の先進地帯では,公や貴族の世襲地が増え,領地管理人,執事,巡回徴貢人なども現れて所領経営のしくみがしだいに整ってくる。…
【もてなし】より
…初期の公たちは従士団を率いて収穫が終わった直後の秋から冬にかけて領域内の土地を巡回し,もてなしを受けるとともに貢税の徴収にあたった。この制度はポリュージエpolyud’e(巡民)と呼ばれた。古い時代のロシア人が概して住む人もまばらな森の中に住んだところから,旅人に食物と憩いの場を提供するならわしがとくに発達したとする説もある。…
※「polyud'e」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」